私達大分エコクラブのメンバーだった竹山さんが、病気で亡くなられた。
思い起こせば彼は大分エコクラブを始めて直ぐに知り合った。メリー商会で開催したチェーンソーのメンテナンス勉強会の際に、「自分もチェーンソーをしっかりと使いたい」と言うことで入会され、みんなから勧められる道具は直ぐに買って、特に刃物に関しては古い道具を磨き上げるのが得意でした。
クラブ発足時に行ったチェーンソーの勉強会の写真
大分エコクラブも、その頃は木を切ることより伐採の勉強会を行っていて、すべてに参加され積極的に聞いておられた。
この写真も、高田先生を招いてのチェーンソー勉強会を医大の裏で行った。
まもなくして仲間が増えてきて、私の自宅でお花見をやった時にも楽しそうに飲んでおられた。たまには酔って歩けなくなった時には、仲間に連れられてタクシーに乗られたりして、とにかく人と話すのがお好きだった。
その後、竹山さんの知り合いで由布市の山に広い雑木林を、クラブ全員で計画的に伐採を始め、みんなして運搬道を切り開いた時にも彼はいた。
そして昼食時となると様々な道具を出してはみんなを和ませていた。
この山にツリーハウスをつくろうという夢が出てきて、彼は積極的に参加してくれていた。
APUの学生が体験に来た時にも、得意の英語を使って積極的に交流されていた。
クラブで新しい運搬車を購入した時にも、この機械の保管をかってでてくれた。
また、この山には車を置くスペースが無かったために、重機機械を入れて広場を造成して駐車場を計画したのも彼だった。
以前不動産を手広くやっておられたらしく私達には出来ない視野を持っておられた。
この広場が出来て、私達の活動も広がってオランダから学生がきたり、多くの人たちがやってくるようになった。
チェーンソーのカットの勉強会などもやった。本当に真面目に取り組んでおられた
スウェーデントーチの話が出ると、自分で杉の丸太を仕入れてくれて、彼の家でスウェーデントーチの研究をしたりして始めて試作品をつくったりした。
様々なイベントには積極的に参加して、人と話したりするのが大好きな人だった。
本当に大切な人を亡くした。お酒とたばこと人が大好きな人だった。あれほど大切にしていた薪ストーブや椎茸の木を、もう彼の家に行っても見ることが出来ない。
以下は、会員から寄せられた竹山さんの思い出から
エコクラブの「御前様」が逝ってしまったのですね、寂しい限りです、「御前様」にはいろんなことを教えていただきました。心からご冥福を祈ります…合掌。ーーs
竹山さんの訃報をお聞きして大変に驚いています。
竹山さん宅で美味しいシシ鍋を頂きましたね。
寂しい限りです。ーーm
物知りでいつも優しい口調で話しかけてくれました。
フクロウの事を楽しく話していた事を思い出します。
色々と相談できる先輩とこんなに早くお別れするとは 本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。ーーo
山恋フェスティバル
スウェーデントーチの販売 「売れないなー・・・・」
山恋フェスティバル(10月28日)
その時 竹山さん私に 写真撮ってくれないかと
言われその時撮った写真が柴山さんが送った写真です。ご冥福をお祈りいたします ---s
突然の訃報に驚いています。
話し好きで、いつもにこやかにしておられた姿を思い出します。ロープ結びや斧やナタ等の道具の事を優しく教えてくれました。(ボーイスカウトの経験)
最近、来なくなったので心配してましたが残念です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。---n
流しそうめんの竹を割るときに竹をもって突然「走る!」といって走られたことや
山でシシ肉をのどにつめられたり、チェックの感じのよいシャツを西海岸でかったんじゃと言っておられたりしたことなどどこかユーモアのあるお方でした。写真を見ていると竹山さんの声がきこえてきます。
すてきな思い出をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。 ---m
竹山さん、ご逝去されたこと本当に悲しく思います。
今後、一緒にクラブの活動でご一緒できないこと寂しい限りです。
竹山さんのご冥福をお祈りいたします。---o
間違いかなと思っていました。
竹山さんとは、木を切るよりは、家にいちじくが三本あるので、いちじくの育て方を良く聞かれました。
しかし、どこでどうなったのか、残念です‼️---a
最後にお会いできたのが去年のお花見になってしまいました。凄く優しい方だったので、残念で仕方ありません。心よりご冥福をお祈り致します。---h
竹山さんと最期に逢ったのは、朴木の現場に入る時に運搬車を取りに行った時です。
膝の術後で「腰がいてーんジャー」と、杖を使って歩いていました。
もともと細身の人が、さらに細くなって痛々しかったです。その時が今生の別れになるとは!
昨年の花見の時は、余程気分が良かったのか、酒が進みすぎてヘベレケ トイレに
行くにもコケタリ起きたりで大変でした。1年も過ぎない内に旅立つとは?
個性が強く、気の良い人でした。
歳が近いという事もあって、身につまされます。
安らかに!!----m
竹山さんの訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。
竹山さんにはなかなか名前を覚えていただけず、いつも、
『ちょっとあんた・・・これやって!』
翌週お会いした時にも、『生野です。よろしくお願いします』
でも結局その日も帰るまでずっと『あんた・・・』で通されたことも
いい思い出になってしまいました。
『足の調子がいまいちで無理できんなぁ~。歳には勝てん』と話したのが
最後になってしまいましたがこの時は『生野くん』と言ってもらえて
よかったです。ーーーs